父子家庭で娘、それ私だ

僕を止めていたもの

[最終更新日]2020/01/04

「娘の問題を解決するには次のステップに進む必要がある」という事。それは決して間違っていないと思う。ただ、そこに「次の上位プランを申し込む必要がある」がセットになると途端に違和感を感じる。商売としては至極全うなのだが、こういった療育には最も相性が悪い組み合わせだと僕は思う。そこが難しい。

断れなさそうな空気に直感が反応する

またこのパターンか。。。

この営業系の話が出た時点で「引くなら今か」という直感が反応した。在籍校への復帰は順調だったので、年内一杯で区切りを入れようかと思っていたので決断は早かった。少しタイミングは早いけれど、夏休みに入る事だしそれはそれでいいかと。

できれば笑顔で「お世話になりましたー!」と締めたかったんだけどなぁ。。。

僕を引き留めたもの

娘にとっては最高の環境だったスクールB。ただ、全てにおいてパーエフェクトだった訳ではない。勿論、全てがパーフェクトなんて無茶な話だと思うが、僕には「ここだけは譲れない」というジョーカーポイントがある。それに引っかかってしまったのだ。

指示が細かすぎる

親への対応がきめ細かいのは素晴らしい事だが、それが細かすぎると「マリオネット」にしかならない。親が自分で考え、行動し、失敗し、また考えるという基本動作ができなくなると「まず相談から始まる」という悪循環に陥る。そして「指示通りに動けば間違いない」と妄信すると親自身の成長が止まる。親が専門家と子供の間で「子供のおつかい状態」になってしまうのだ。

僕にはそう見える保護者が多かった。困り果てている人には細かい指示は「道標」となるが、これでは「劣化コピー」が生まれるだけで、問題解決能力とその経験が親の中で育つ訳ではない。親の自立を阻んでしまうと感じるのだ。

僕はそっち側には行きたくなかったのである。自分の意志と選択で決断し、責任も自分で取りたい。

子供を掌で管理しているきらいがあった

これは僕がここに参加し始めてから少しずつ変わっていった部分だと思っている。元々療育における豊富な経験と知識、そして実績を持つスクールBは「科学的」「学問的」な色合いを強めていった。それは決して間違いではない。1つの正解だと僕も思う。

ただ、娘にはそれは必要無いと僕は判断していたのだ。その方向性は僕が大得意だから。娘に必要なものはその対極にあるもの。「非科学的」「非学問的」な領域のアプローチ、女性的な感覚的なアプローチだと僕は考えていた。

スクールBは最初は娘の事を知る為に女性的な感覚アプローチで様子見をし、ある程度娘の状況を把握した時点で「科学的」「学問的」なアプローチを組み込んでいったのだと思う。見事なアプローチだと思う。

ただ、それは言葉や振る舞い1つ1つに大人側の思惑が隠されるという事である。子供がお釈迦様の掌で飛び回る孫悟空になるという事だ。それが遊びを通して成長するという事だとしたら・・・・僕はそれは求めない。もっと大人も丸裸になって子供と向き合う、触れ合う。その中で子供が友達や大人を通して成長するという実に泥臭いものを求めていた。

それが皮肉にも初めの「様子見」の時こそ色濃く出ていたのだ。

つまり、スクールBが目指すスタイルと僕が求めているスタイルが噛み合わなくなっていったという事。そして、その空気は結構前から何となしに感じていたという事。

「やっぱりこうなるか」

嫌な予感が的中したなぁ。。。という感じだった。凸と凹が合わなくなってしまったのだ。相性の問題である。

>>次は「感謝しつつも撤退

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