【不登校伝記(1年3学期):2章】行き渋り再発『後編』
[最終更新日]2021/03/21
嫌な予感がしつつあった3学期末
娘の行き渋り問題が再発して1週間後、僕は迷っていました。
- ここで休ませるべきか
- もう暫く様子見をするべきか
- これすら「試し行動」なのか?
友達にアドバイスを求めても8割は同じ系統の答えでした。
ここで引いたら駄目
試し行動だよ
許すと癖になるよ
2人も3人も育てている先輩ママの言葉は重い。やっぱりそうなのか。
そうだと助かるな。
ここで休ませる選択をすると仕事の調整を余儀なくされます。娘が小学校に入ってようやく本来の流れに戻しつつあった仕事をです。
できれば仕事したいな
この本音が僕の決断を鈍らせました。
親のご都合主義が発動した
娘を休ませるべきか、引き渡しを継続すべきか。娘の事を心配しつつも「今から仕事の再調整は流石にキツイ」という本音を「引いちゃ駄目だよ」というママ友の言葉で塗り固めた僕。
先輩がそう言うんだからこれが正しいんだ。と他人様のアドバイスに「これ幸い」とばかりに乗っかかるという「愚策」を取りました。
僕はこの行き渋り再発では「避けるべき選択」ばかりをしていたと思います。娘は一生懸命頑張り、ガス欠になりながらも自分を主張していたというのに。最後の味方であるはずの僕が娘の声に背中を向けたのです。感覚的に気付いていたにも関わらず。
何という愚かな父親だったかと思う。我が家は父子家庭、娘には僕しかいないのですから。
偶然の学級閉鎖
今の選択は明らかに間違いだ。別の選択肢を模索する必要がある。というか娘にはどんな選択肢があるというのか?
それを考えている時に娘のクラスはインフルエンザで学級閉鎖になりました。もう終業式も間近です。
うほほ~い!
学校が休みとなった事がわかった瞬間、わかりやすいくらいにテンションが上がる娘。その様子をみて「娘にとって学校はどういう場所なのだろうか」と自問自答する様になりました。
ただ、同時に「家はまだ安全地帯なんだな」と安心もしました。
確かに心配はあった
娘を奔放に育てた以上、カッチリした幼稚園や小学校では娘は馴染みにくいかもしれない。娘には田舎の分校の方が相性が良い。それは間違いない。でも仕事の都合上、都会を離れる訳にもいかない。
抱いていた懸念が今出てきているのか?
どうする?引っ越しか?でも、引っ越し先で同じ事が起こればどうなる?先にお試し入学とかは無いのか?
いつしかそんな事を考える様になっていた。
終業式は欠席した
学級閉鎖が無事に開け、終業式まであと2日。
その時点で僕は決めました。今の娘では式を壊す。他の子達にこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかない。
そこで終業式も含めて残りの日数を欠席させる事にしました。担任の先生は残念がっていたが、先生の負担も相当なもの。今はこれが最善だと判断しました。
先生、ごめん。ありがとう
娘の荷物を取りに学校へ
後日、娘の荷物を取りに学校へ向かった僕。その時に担任と教頭を交えて娘の今後についての話し合いをする事になりました。
まずは娘についての謝罪と感謝を伝えました。学校側は娘の情報を全体で共有し、見守ってくれている。先生方への負担も大きいはずだ。感謝しかない。
その上で自分の我儘も伝えた。
- 無理に矯正する様な事はしたくない
- 時間が掛かっても、娘の自発的な変化を見守りたい
- その変化の引き出し方を春休みで模索する
- どうしても馴染めない場合は、娘の居場所を探す選択肢も考慮する
秩序が一定の学校において「ノイズ」に近いこんな意見は迷惑だと思いますが、こここそ「引くべきではない場所」だと僕は思ったのです。
一般的ではないのが我が家かもしれませんが、それが受け入れ不可ならそれはそれで「1つの答え」です。
学校側としては僕の考えを尊重してくれた。僕は担任に恵まれたと思う。学校側にかなり根回しをしてくれていたみたいだ。
こうして娘の1年生は終わりを迎えた。
【不登校伝記(1年3学期)】 完
>>次は「不登校伝記(2年1学期)」