僕が悪かった?点を考えてみよう
[最終更新日]2021/03/23
改めて離婚を振り返ってみた
僕が離婚を選択してから早3年?かな。もうすっかり父子家庭生活が板についてきた感じがします。離婚協議~離婚~父子家庭生活の流れの中で積み重なっていた「胸のモヤモヤ」も今では殆どがスッキリとしています。
【追記:20191220】
2019年現在、父子家庭生活ははや6年目を迎えている。本当にあっという間。
一番きつかったのは「協議中」だった
この胸のモヤモヤが一番きつかったのは「離婚協議中」でした。あの時期は本当にきつかった。
- 仕事はいつも通りある
- いつ「合意」が得られるのか先が見えない
- 話し合いというより実質は交渉みたいなもの
- お金の話を避けて通れない
- 提示される条件がコロコロ変わる不安定さ
- 「早く終わらせたい」という願いが砕かれる毎日
離婚成立すればモヤモヤは時間薬で薄れていく
離婚協議中はモヤモヤが溜まる一方です。それが本当にキツイ。でもいざ離婚が成立してしまえば一気に楽になります。後は溜まったモヤモヤがゆっくりと消えていくのを待つだけになりました。
父子家庭としての目まぐるしい生活の中で気付けば薄れているみたい感じです。疲れてくると顔を出したりもしますが、基本的に「新たに溜まる」という事はありません。減っていく一方です。
ここでもう一度、自分側の非を考えてみよう
離婚は一方の原因が全てなんて思いません。両者に責任があります。たとえ不倫であってもそうです。
「倫理的にあり得ない」という理屈はわかりますが「踏み越えた」それなりの理由が夫婦間にはあったはずです。そこに気付かない限り前に進めないと思います。
じゃあ僕の場合はどうだったんだろうか。今ならもっと冷静に当時の自分や夫婦を見つめ直せると思ったのでしてみました。
その1【僕は共働きが前提の思考】
僕は今も専業主婦はおかしな仕組みだと思っていますし、経済力どうこうではなく共働きが当たり前だと思っています。家を守るのは父親と母親の二人であって、家を守るとは家を維持・管理する事。
つまり生活を守る経済力と実際の管理業務だと思っています。
日本は経済面はパパが、子育てと家の世話はママが、といった形が一般的になっていますが、僕が見る限りこれはかなり歪です。父子家庭になって改めて実感しましたがパパがジリ貧状態と言って良い。
「ママは子育てと家の世話で大変なんだから」という論理が普通に通じているのが僕は不思議で仕方が無いのです。
フルタイムで仕事をする事と子育てと家の世話を天秤にかけた場合、僕は圧倒的にフルタイム勤務の負担が大きいと思っています。育児なんて「自分の思い通りのシナリオ」を意識しない限り楽です。家の世話も家のサイズを考慮して、作業の効率化をすれば幾らでもできます。仕事の負担に比べるべくもありません。
そんな僕の考え方がどうしても理解できなかったのかもしれません。
その2【子供は溺愛できるが、奥さんは溺愛できなかった】
僕は奥さんは相棒として考えているので、愛情というより仲間意識、信頼関係というものを前提においていました。でも、奥さんは僕が子供を愛する様な愛情を求めていたのだと思います。
奥さんは子供に嫉妬をした。
わかっていても、僕は奥さんの期待通りの愛し方はできなかった。子供が余りに別格だったのです。
その3【僕は対等が基本だった】
世の中は男性が女性を守る。そんな前提が基本だと思う。でも僕は50:50が基本。男と女ではなく「大人と大人」であり「母親と父親」という関係が基本。
「背中合わせ」の関係が基本。
奥さんは結婚して子供ができれば僕が変わると期待していたと口にしたけど、僕は結婚しようが子供が生まれようがそれは変わりませんでした。僕自身の軸みたなものですから。
それが亀裂の始まりでした。
奥さんは「〇〇になれば変わると思ったのに」
僕は「後で誤解が生まれないように付き合っていた時から説明していたのに」
ともうボタンの掛け違えが起こっていたのです。
その4【僕は妥協するくらいなら早めに決断をすべきと思った】
- 結婚とは辛抱
- 結婚とは妥協
- 結婚とは折り合い
- 結婚とは生活
この言葉はいずれもが正解だと思います。他人同士が1つ屋根の下で暮らす以上は倫理や生活習慣、物事の考え方など色々と違いは出てきます。恋愛の時なんて良いところしか見せないし、悪いところは隠すもの。何より恋愛中は欠点すら魅力に映るものです。
でも結婚は違う。非日常の恋愛から日常の結婚となると話が違ってきます。「え?何それ」といった知らなかった事、思いもよらなかった事が起こった時にどうするのかは人それぞれです。
- 結婚した以上は仕方ない
- お互い様だ
- 今更離婚なんて無理
- 子供もいる以上はどうしようもない
- 結婚とはそういうもの
こういった理由で飲み込む、折り合いをつける人が殆どだと思います。僕はそれが無理でした。どうしても納得のいかない事を抱えながらの生活はストレスにしかなりません。
最初は仕方ないと割り切っていた僕ですが、やはりそれが「日常」となり「自分の家」での出来事になるとあっという間に限界が来ました。
自分は結婚前に全部話していたのに、これじゃ「後出しジャンケン」したものが最後に勝つ世界みたいだと感じたのです。隠しきって結婚した者が最強だと。
僕は今ならまだ引き返せると判断をしました。身も蓋もない言い方をすると、娘が僕の我慢できない倫理に染まるのを防ぎたかったのです。
今のタイミングなら「親子関係は維持できる」「娘の色はまだ真っ白」のままで離婚を迎えられる。
だから僕は離婚を選びました。
>>次は「育児書・育児理論は気にしなくていい」