父子家庭で娘、それ私だ

【保護者会伝記:3章】僕はどうして乗り越えられたのか

2020.01.05

[最終更新日]2020/03/05

保護者会に参加してみて感じた事、今現在も答えを模索している保護者の方を前にして僕は自分を振り返ってみました。

「自分はどうやってここまで辿り着けたんだろうか」と。

振り返れば色々あったなと思うのでここに残します。誰かの役に立ってくれたら幸いです。

僕が乗り越えられた理由

色々振り返ってみるとやっぱりその時々で色んな助けがありました。また、色々と割り切った事も大きかったと思います。

ただ、そういった事に気付けたのは娘が落ち着いてからでした。その時はそんな事考える余裕なんて無かったからです(笑

1.現実を受け入れた

「我が子がそうなった」という事。それを受け入れた事がターニングポイントになったと思います。これができずに悪循環に陥っている親子がどれ程多い事か。

認めたくない、認められない親は多いですが、僕らは「とっくの昔」に境界線を越えているんです。

今ならまだ軽症で済む

俺達、とっくに二次感染してるんだよ

この現実と意識のギャップを一刻も早く埋める事です。

2.行動に躊躇しない

「娘が不登校になった」と判断した時点で、早々に学校から切り離す、フリースクールを探すなど、「再登校」を切り捨てて行動に出た事。そういった躊躇しない行動は結果的に良い出会いを沢山娘に与えてくれました。

探し当てたフリースクールでの行動も躊躇無しです。「違う」と感じたら即撤退。直感を大切にして行動する事。

これはズルズルを防ぐ上でも大切な事です。

ズルズル登校を一番避けるべき

3.教育から療育へ切り替えた

僕の場合「娘には療育が必要」と判断をしました。そして療育を提供してくれる場所を探しました。「学校へ戻る」よりも「今、娘に足りていないものは何か?」「僕が娘に教えていなかったことは何か?」といった人間としての自立・成長に必要なものを探したのです。これが結果に結びつきました。

ただ、この点に関してはびっくりするくらい学校や校医の協力を得られませんでした。「ややこしい事に巻き込まんといて」みたいな印象を常に受けました。

ただ、担任の先生には救われた。ガン攻めスタイルの僕への批判を学校内で受けていたと思う。「娘の為」に耐えてくれたのだと思います。

受けた恩は忘れん

使うかどうかは別として、担任の先生は「国王」という召喚カードを持った。要らんかもしれないけど。今後、声が掛かれば無条件で僕は動く。

また、意外な事に役所はとても協力的だった。これには本当に驚いた。本当に有難かった。今でも感謝しています。

4.ヒントをくれる友達に恵まれた

シングルのママ友が多くの助言と助けをくれました。これも本当に助かりました。

  • フリースクールAの情報をくれた
  • 娘をお泊り会に招いてくれた
  • 僕を励ましてくれた

父子共に多くの仲間に支えてもらった事。自分一人ではきっと潰れていたと思います。実家の理解が得られない状況は結構キツイのです。孤独感が結構強まる。そんな時に仲間の存在は心強かった。閉塞感が和らぎました。

自分が多くの人に支えてもらった分、今はこう思います。

今度は俺が支える番だ

5.仕事を減らした

収入的には痛い。痛いですが娘が渋りだしたのは僕が仕事を詰め込みだした時と一致しています。だから仕事を減らし、娘と一緒に過ごす時間を増やしました。

同時に娘に足りていないと感じたものを2人で一緒に補う様に工夫しました。

人任せにせず、自分で向き合った事が娘の成長に直結したと思います。

6.ひたすらのトライ&エラー

結局はこれかな。

娘の不登校は娘の中に「まだ準備中」の何かがあったという事。まだ準備不足の中で娘は頑張っていたのです。だから、その「準備中」だったものをしっかり「準備完了」にする事に集中しました。「再登校」はその結果に過ぎません。

娘は「準備中」だったものが整うにつれてドンドン成長しました。

再登校はいつ?

そろそろ復帰せなヤバイんちゃう?

こんな意見も沢山頂きました。「耳にタコができるくらい」とは正にこの事。

ただ、それは全てブロックしました。準備が整えば自然とそうなると信じたからです。

信じて良かったです。

保護者会伝記【完】

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