父子家庭で娘、それ私だ

【不登校伝記(1年1学期):3章】回復は早かった

2019.12.30

[最終更新日]2020/12/04

回復自体はあっという間だった

小学校一年生の夏、学校を嫌がりだした娘を前に僕が取った行動は「休ませること」だった。

  • 今なら傷は浅い
  • 回復を最優先に
  • スパっと気分転換をしてリセットだ

こう考えたのでその場で2~3日は休みにさせようと判断し、学校にも「ちょっと愚図るので」とそのまま伝えた。嘘を言うよりそのままの状況を伝えて親としての判断も伝えた方が話が早いと思ったから。

学校側にも理解を求め、娘はそのまま休みとなる。

娘は楽しそうだった

久しぶりに娘と長時間一緒になる事になったが、娘はとても機嫌良く楽しんでいた。お昼ご飯を一緒に食べて、仕事の傍ら色々な話をして、ちょっと寄り道をしてみたりと。保育園時代に戻ったような1日を過ごした。

「少し休んでいい。学校には伝えてある」

ここで「明日は学校行けよ」と娘を追い込むよりも、2~3日休ませて復帰の方が自然だろうと判断して掛けた言葉。せっかくなので娘との時間を過ごそうと決めた。

だが、娘と一緒に過ごしたのは2日間だけだった。

3日目から娘は普通に復帰したのである。

色々な事があった2日間

娘が行き渋りから復帰に至った2日間。その間には色々な事があった。

クラスの課外授業に合流してみた

娘が休みに入った日、たまたまクラスに課外学習の時間があり、公園散策となっていた。それを狙って公園に向かったのだ。友達との関係に問題が無いというのは本当か?。それをこの目で確かめたかったからだ。

公園で遠巻きにクラスを眺めていると、娘を見つけた友達の方が娘を連れに来た。そして気付けば皆と課外学習に合流している娘。

友達は大丈夫だな

これには心底ホッとした。そこだけが心配だったのだ。

そこで担任の先生と色々な話をして、娘の復帰は2~3日が理想、最長で1週間くらいは覚悟していると伝える。担任もそれを受け入れてくれた。有難い。

実際には2日間で事足りた。

学童には欠席児童の参加権が無くて焦った

クラスとはそこで別れ、次は学童保育の方に連絡をした。

「学童なら行きたい」

娘がこう言ったからである。

なるべく学校との接点は確保しておきたいと思っていたので「なら学童は行こう」となったのだ。

そこで初めて問題にぶつかった。

学童保育はあくまで「登校児童」の通う場所であり、欠席児童は参加できない。そう学童の責任者に言われた。

行き渋りを始めた娘の事情も伝えたが、それでも「無理です」と断られた。規則上は仕方がないのかもしれないが、状況から考えると正直「頭固いな」と思ったのも事実。

保険の問題や責任問題があるのだろうと思うが、打開策の検討1つ無いのは正直ガッカリだった。

「無理」という結論を用意している相手に何を言っても始まらない。そこで学校側に連絡をして「課外授業の合流を登校扱いにしてもらえないか」というお願いをした。「学童なら行く」という娘の状況を伝え、現状は「学童」規則によってそれができない状況にある事も伝えた。

お父さん、OKです。

学校側に了承を得て、その旨を学童の責任者へ。「それならOKです」と無事に学童参加が許された娘。15時から17時まで楽しそうに遊んできた。やっぱり友達という訳ではなさそうだ。

早期復帰を選んだ娘

友達と楽しそうに過ごす娘を見て安心した僕は「休ませても泥沼にはならない」と判断をして娘をある程度休ませようと決めた。それが前出の「少し休んでいい。学校には伝えてある」という言葉だったのだが、娘の答えは意外だった。

「ううん、明日は普通に行く」

意外な答えだったら内心ホッとした自分がいた。休ませた判断は間違っていなかったと。

【振り返り追記】気付くべきは別だった

当時、娘が復帰を選んだことで安心した僕だったが、ここで気付くべきは「今日は学校を休んでいい」と伝えた瞬間から娘が元気になった事だ。娘はもう一杯一杯だったんだと思う。1日休んで気持ちに余裕ができたから「学校行く」と言っただけで。

再び不安が溢れるのはある意味必然だったろうに僕は「1日で済んで良かった」としか思わなかったのだ。

>>次は「行き渋り再発『前編』

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