父子家庭で娘、それ私だ

僕にも児童虐待への道は普通にあったと思う。

[最終更新日]2017/06/08

ざっくり言うと

  • 僕だって聖人君子だった訳では無い。
  • 虐待に走りそうになった瞬間はある。
  • 虐待は誰にでも可能性があるものだと思う。

僕だって聖人君子だった訳では無い。

「国王、凄いですね。僕には真似できない」

こういうメールを良く頂きますが、皆さん何か勘違いをしています。

僕だって最初から今みたいなスタンスになれていた訳ではありません。

段々と今のスタンスに仕上がっていったのです。

最初は「初めて尽くし」の出来事で大変でしたし、更には離婚問題まで起こって本当に大変でした。

真面目な話、僕の白髪の7割はこの時期に生まれた気がするくらいです。

誰だって最初はもう「しっちゃかめっちゃか」なんですよ。

僕も虐待に走りそうになった瞬間はある。

今でこそ父子家庭共和国で自分の意見を言いたい放題している僕ですが、子供が0歳の時はそんな余裕もなく、毎日必死でした。

正直、怒りの矛先を子供に向けそうになった事だってあります。1回だけ。

それを実際にしていたら僕も立派な虐待親だったでしょう。

どうしてそうならずに済んだのか、は後で説明するとして、ここでは「どうして子供に怒りをぶつけそうになったのか」という生々しい部分を書いてみようと思います。

娘0歳でいきなりのトラブル。

うちの娘はいきなりうつ伏せ寝を覚えました。

仰向けで寝てくれなかったのです。

正確にいうと、うつ伏せというより「抱っこ」状態でないと眠らなくなったのです。

引用:となりのトトロより

丁度こんな状態。

今でもそうかもしれませんが、娘が生まれた時は丁度「子供の突然死」と「うつ伏せ寝による肋骨圧迫との関連性」がやたらTVで報道されていた頃です。

個人的にも普通にあり得る話だなと思っていたので、どうしようと参っていました。

苦肉の策として座椅子を買った。

苦肉の策として座椅子を購入しました。

娘がうつ伏せ寝しかしないのであれば、娘はそのままで、位置がうつ伏せにならない様にしようという強引な策です。

写真とは少し違うタイプなのですが、頭から足の先までしっかりホールドしてくれる座椅子を購入して、背もたれはほぼ90度。

その状態で娘を抱っこして寝ていれば、娘はうつ伏せに近いものの、うつ伏せ程は負担の掛からない状態で寝れるだろうという考えでした。

お蔭さまで娘はスヤスヤ夜も寝てくれました。

だがしかし僕があんまり眠れない。

そもそも、抱っこしながら寝るなんて多分無理です。

手の力が抜けると娘が落ちてしまうかもしれない。だから気があんまり抜けない。

こっちにしておけば良かったと後悔しました。

仕事は普通にあるので、翌朝7時には出勤しないといけません。

やっぱり少しは寝たい。

ほんの少しでも、と何とか眠ろう眠ろうとするのですが、安定した姿勢で眠れそうな頃には次のミルクの時間がやってくる。

そんな「眠りかけの瞬間に起こされる」という状態が1ヵ月続くと、僕のストレスはもう爆発寸前になっていました。

僕は娘が生まれてから2ヵ月近く「夜に仰向けで布団で寝る」という日常が送れなかったのです。

そこに数時間おきのミルクが追い打ち。

娘のうつ伏せ寝対策として導入した座椅子作戦。

それは成功だったと思うのですが、それは僕の「睡眠」を妨害する事にもなりました。

眠ったようで眠っていない。

そんな状況の中でやってくる定期のミルクの時間。

丁度眠りに落ちそうな心地よい状態で「お腹空いた~」と泣き出す娘。

ウトウトしながらミルクを温め、あげるのですが、今度はゲップが待っています。

これがまたスムーズにいったかと思うと、中々出なかったり。

個人的にはミルクよりゲップが一番厄介でした。

出ない時は本当に出てこない。

でも、出きらない限り眠ってくれない。

いつものやり方で出てくれない時、「さぁどうしたもんか」とあれこれ考えながらやっていました。

ただ、それよりも「寝かかりの時に起こされるストレス」が凄かったです。

 

「何で今やねん」と。

 

「少しでいいから俺も寝かせてくれよ」と。

1分でもいいから眠りたい。

というか落ちたい。

ああ、このまま落ちれそう。。。。やっと寝れる・・・・

というタイミングでの「お腹空いた~」は本当にカウンターパンチです。

そして僕は爆発寸前までいった。

  • 座椅子による睡眠不足。
  • 夜のミルクによる入眠の妨害(と言っていいのかな)
    • そのタイミングが余りに神懸っていた
  • 仕事は当然いつも通り。

この状態が1ヵ月過ぎて2ヵ月目に突入して暫くしてから。

例によって眠りそうなタイミングで起こされた僕は遂に限界を迎えました。

「もうええ加減にせぇよ」

という感情が芽生えたのです。

今でもはっきり覚えています。深夜3時頃でした。

今にして思うと、怒りを通り越して下手すれば「殺意」にすらなり兼ねない「どす黒い感情」だったと思います。

「一体お前は何なんだよ」

完全な子供への八つ当たりです。

この感情は自分で抑える事はできますが、多分吐き出したら最後、自分でも止める事はできないだろうと思います。

瀬戸際の瞬間は自分でも良く分かる。

自分が爆発する境界線は「はっきり」と自覚できると思います。

感情の濁流がドドドーっと溢れ出す一方で、

怖いくらい冷静な自分もいるんです。

この冷静な自分は非常に性質が悪い。

忠告はするけど止めてはくれない。

「ここで手を出すと戻れないよ?いいの?するならそれでもいいけど」

こんな感じの囁きなんですね。

「駄目だ!そっちに行ったら駄目だ!」

っていう漫画や映画でよくある「善の自分」では全く無かった。

で、この両者の間に感情が抜けた空っぽの自分がいる感じ。

右に行くか、左に行くか、意思決定を待っている状態の入れ物みたいな。

そこで踏み止まれるか、踏み止まれないか。

それが境界線なんだろうなと思います。

そして、1度踏みとどまっても、状況を変えない限りまた同じ事がやってくる可能性が高い。

踏みとどまれなかった人は、最初からそうだったのではなく、状況を変えられないまま限界まで耐えて感情のダムが決壊したのだと思います。

「自分を止められない」という言葉は正しいと思う。

子供に虐待をする親の中には

「自分を止められない」

と言葉にする人がいます。

昔は「何言ってるんだ、親だろう」と思っていたのですが、実際に自分もその状況まで行ったので今は理解できます。

「ああ、この人は踏みとどまれなかったんだな」と。

昔は「自分を抑えられない親」ばかりを責めていましたが、今は「何がこの親をそこまで追い詰めたんだ」と考えるようになりました。

僕は「一ヵ月だけの辛抱だから」という周囲の言葉を支えにしていた。

僕はこの座椅子生活、そして夜間授乳生活に入る前に、周囲の先輩方に聞きました。

「夜のミルクはどのくらいの期間、覚悟をすれば良いですか」と。

色んな答えがあったのですが、一番多かったのが「1ヵ月」というもの。そこを乗り越えたら赤ちゃんは一気に変わると。

実際、座椅子生活中もママ友は「1ヵ月辛抱すれば嘘みたいに楽になるからね」と励ましてくれました。

今にして思うと、僕はその「1ヵ月」を支えにしていたのだと思います。

でも、その「1ヵ月」が過ぎても状況は全く変わらない。

「話が全然違うやん」

僕は急に「終わりの見えないトンネル」に入った様な感覚になったのです。

これがキツイ。

本当にキツイ。

ギリギリの状態で終わりが見えないキツさ。

  • 「明日こそ変わるのかな。。」という不安
  • 「明日には変わってくれるかもしれない」という期待。
  • 「ああ、今日も同じか」という落胆

期待と不安と落胆が1日単位でループするのは本当にキツイ。

負担が軽くなるのが先か、自分が壊れるのが先か。

そんな状況になっていました。

そして、僕が先に壊れかけた。

でも、こうして僕は虐待の道から遠ざかれた。

自分の中に生まれた黒い感情が抑えきれそうもない。

でもここで吐き出せば自分を止められない。

本能と理性のせめぎあいみたいな状態に陥っていましたが、そこで僕は運良く踏み止まれた。

それが僕の父親としての「今のスタンス」を決定付けた気がします。

僕はその時、どす黒い感情を必死に抑えているのと同時に、必死に状況を見直していました。

その瞬間の僕の心理フローチャート(深夜3時に娘を抱きながら)

  • 今回のどす黒い感情は抑えられる。
  • でも、 このままではいずれ自分でこの子を傷つけてしまう時が来る。
    • それだけは死んでも嫌だ
    • でも気持ちだけで止められる自信が無い。
    • ならば何を変えればいい? 何が問題だ?
  • 「今」を乗り越えた所で、「明日」も同じ状況に変わりない。
    • それでは虐待が「今」か「先」かだけの話になる。
  • もっと根本的な問題を探さないと何も変わらない。
    • 根本的な問題って何だ?
  • 自分は娘が嫌いなのか?
    • 大好きだ!
  • 大好きなのに、どうしてこうも邪魔者みたいに感じているんだ?
    • こっちが眠れそうな時に起こすからだ。
    • 全く寝かしてくれない。
  • 「寝たい」のか?
    • 寝たい!
      • 「夜」に寝ないと駄目なのか?
        • いつでも寝れるならいい。
          • なら娘のいない時に寝ろよ!
            • あ、そうすりゃいいじゃん。

ここまで来て、ようやく僕は気付けたんです。

「あわよくば夜の隙間時間に寝ようとしている僕」が根本原因だと。

  • ミルクの合間に少しでも寝ようとしている自分。
    • ミルクを早く飲んでもらいたくなる。
      • 時間が掛かるとストレス
        • 自分の寝る時間が削られる。
    • ゲップをスムーズに出してもらいたくなる。
      • ゲップが中々出ないとストレス
        • 自分の寝る時間が削られる。
  • 座椅子で娘を抱っこしながらでも、あわよくば寝ようとしている自分。
    • 大人しくスヤスヤしてもらおうとする自分がいる。
      • 寝返り打たれるとストレス
        • 新たな安定した姿勢を作らないといけない。
          • 自分の寝る時間が削られる。

「夜だから寝たい」という感覚は当たり前なんですけど、その当たり前が今の状況を作り出しているんだと気付いたんです。

僕の中では「コロンブスの卵」というか「パラダイムシフト」というか。

  • そもそも今は当たり前の状況ではない。
  • 当たり前の状況じゃないんだから、今まで通りに寝れると思う方がおかしいんだ。

だから

  • 子供の一時的なリズムに僕自身が対応する。
    • いつもの自分のリズムを維持しつつ子供の世話をしようとしない。

このブログで何度か登場する「赤ちゃんシフト」の概念が自分に生まれた瞬間でした。

この「発想の転換」が僕が虐待から遠ざかれた要因です。

この日を境に、僕は全くストレスが溜まらなくなりました。

「夜は起きて子供の世話をする時間」というものに設定して「寝れたらラッキー」くらいの認識に変えたからです。

ただ、代償として昼間の隙間時間は全て睡眠に投入しました。

そのせいかこの時期は誰かと会話をした記憶が余り無いです。

仕事以外は本当に目を瞑っていた気がします。

そして夜は完徹。

でも「今の時期は完徹で乗り切る」と自分で決めたので苦では無かったです。

つまり

「寝れないのがストレス」というより本質的には「自分の思い通りに事が運ばない事」がストレスだったのだと思います。

虐待は誰にでも可能性はあると思う。

今回の記事では敢えて「虐待」という過激な表現を使っていますが、僕の場合は「虐待の前段階」の「子供にあたる」段階に入りかけた状態だったと思います。

「子供にあたる」という行為は悲しいかな結構日常に溢れた社会になってきたと思います。

週末に街に出れば「僕基準」で言うなら子供にあたっている親御さんを結構目にする。口だけにせよ手を出すにせよ。

その理由が

  • いう事を聞かない
  • 邪魔をしてくる

が圧倒的に多い。

他人に対する粗相で親が子にあたるのは余り見た事が無い。

大体が自分(親)に対する何かが発端です。

それは虐待ではないけれど、その道の先にあるのは「虐待」だと僕は思っています。

自分の都合を小さな子供に押し付けている時点で本質的には大差無いと思うのです。

子供にあたるのと虐待は別の道ではなく、同じ道の手前か先かの違いだけ。

そして僕たち親はすでにその道に立っているのだと思います。

違うのはその道を進むのか、進まないのかの違いだけ。

 

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