父子家庭で娘、それ私だ

語学についての私見

[最終更新日]2016/12/22

ざっくり言うと

  • 僕はトリリンガル(だった)
  • 日本語は世界に誇る美しい言語だが、それが仇となっている。
  • 第二言語は第一言語の土台の上に成り立つと思う。

 

実は僕はトリリンガルだった

今は違いますT_T。

ヒアリングは残っていますが、トークに関してはドンドン落ちていきました。

使わなければドンドン落ちていきます。

でも使う機会も必要も無いんです、今。

そんな没落トリリンガルの僕が辿り着いた「俺流」の語学教育を語りたいと思います。

我が家はこの方針です。

日本語は世界に誇る美しい言語だと思う。

僕は日本人である娘には徹底的に第一言語である日本語を学んでもらいたいと思っています。

それにはそれなりの理由がありまして、

  • 日本語は本当に美しい言語だ。
  • ありとあらゆる感情に「言葉」が用意されている。
  • 世界で一番困難な言語だとも思う。
  • 大胆な発想には結びつかないが細かい頭の回転力には直結すると思う。
  • 第二言語は第一言語の語彙力がベースになると思っている。
  • 語学は高校~大学留学でいい。
  • 何人かわからない国際人には育てたくない。

主に僕の実体験です。

もう僕個人の確信といっても良いです。

一つ一つを解説すると日が暮れるので、僕個人が確信した特に重要な点だけを解説したいと思います。

日本語はありとあらゆる感情に「言葉」が用意されている。

他の全ての言語を研究したわけではないので、僕は間違っているかもしれませんが、日本語の持つ最高の要素とはこれだと思います。

逆を言うと、日本語をどっしり学んだ人間が英語や他の言語を学ぶ時に最大の壁になるのもこの部分です。

大学の時に外国からやってきた教授が確か同じ事を仰っていました。

僕も同感です。

  1. 英文和訳 ⇒ 英語から日本語への翻訳 ⇒ 日本人は比較的できる(ヒアリング)
  2. 和文英訳 ⇒ 日本語から英語への翻訳 ⇒ 日本人が詰まる(トーク)

日本人が最も苦手とするのは「2」の日本語を英語へと翻訳する時。

つまりは「頭で思っている事を英語にして話す」という部分です。

どうしてここで詰まるかというと「頭に描く日本語に該当する英単語が存在しないから」という事です。

外国語は結構アバウトな部分があって、同一の単語であっても「イントネーション」で意味合いが微妙に違ったりしてきます。

これは文法上どうこうではなくて現地で実際にコミュニケーションを取ればすぐにわかります。

「とりあえずgetに何かくっつければいい」

現地で暮らす日本人が、海外留学に不安を感じる日本人に向けてかける定番の言葉です。

行けばわかります。

それで本当に通じますから。

「get +○○ing」は留学初期の黄金の言葉です。

話が逸れましたが、日本語の語彙と英語の語彙は「≠」だということです。

日本人は頭で浮かんだ日本語を律儀に「=」で結ばれる英単語で表現しようと頑張るから会話が詰まってしまうのです。

僕は最初、「僕の語彙力が足りないからだ」と英英辞書片手に頑張りましたが、根本的に「この日本語に該当する英単語が無い」と気付いた時はショック大でした。

1つの世界観が引っくり返ったような。

「え?そんな事あるの?」と本当に思ったのです。

ある意味、その事実に気付いた事の方が英語を学んだ事より大切な何かを学んだような気がするw。

僕達日本人は明らかに頭が固く、固定観念が多い。

そして今では当時の僕と同じ壁にぶつかっている人には「もっと大雑把でいいんだよ、大切なのは意思が通じる事なんだから」とアドバイスをしているw。

第二言語は第一言語の語彙力がベースになると思っている。

これは「大胆な発想には結びつかないが細かい頭の回転力には直結すると思う。」にも通じる部分です。

日本人が英語を学ぶ上で、最も大きな壁になるのが「第一言語である日本語の豊富な語彙力」という何とも皮肉な状態。

今の幼児教育は「だったら日本語の語彙力が少ない今こそチャンス」としているように見える。

実際そうだと思います。

「耳が柔軟だから」という意見も確かにそうなのですが、いわゆる「日本語脳ではなく英語脳から育ててしまえ」という事でしょう。

僕は評論家ではないので、幼児・早期教育の是非は問わないですが、僕は「深く広い語彙力=感情世界の広さ」だと思っています。

世界でも突出している語彙を誇る日本語をある意味捨て、先に英語ベースの語学脳を作るのは僕はパスです。

確かに英語は世界の公用語です。

日本でもこれから使えるようになった方が圧倒的に良い。全てにおいて有利に働く。

でも、それが「日本語脳」を捨てる理由にはならないと言うのが僕の結論です。

何人からわからない国際人には育てたくない。

僕が日本語脳を捨てたくないという一番の理由がこれです。 今みたいに国内での英語教育が一般的でなかった頃、熱心なお母さんはパパを日本に置いて「親子留学」に来ていました。

今で言う「早期教育の走り」となる子達です。

多かったのは幼稚園~小学校低学年です。

半年も経ったら当然英語は喋れます。

ママは「日常会話も英語」か「日常会話は日本語で」に分かれるようでした。

僕がショックを受けたのはその子供達の言葉です。

「日本語と英語が交じり合ったハイブリット語」です。

学生時代に帰国子女の子が同様の喋り方をしたりしていました。

当時は「かっこいいな」と思ったものです。

ですが、その時に出会った子供達の言葉を聞いて僕が思ったのは「この子のアイデンティティは何人なんだろう」という事。

そして、学生時代の帰国子女の子達が「日本語良くわからん」「英語の方が話しやすい」と話していた事の意味がわかった瞬間でした。

「第一言語の土台が不安定なんだ」と。

僕が国際的な案件で出会った、世間的にいう「グローバルな人材」とはアイデンティティという軸が固まった人達ばかりでした。

英語が拙い人なんてわんさかです。

でも伝わる。

会話はできる。

僕は日本人は「綺麗に英語を話せる」事に執着しすぎだと思います。

「発音の美しさ」にばかり目が行くのも日本人の特徴です。

とにかくコンプレックスが酷い。

それも外国に対してよりも「身近な人」に対して。 僕は娘には「英語」を手段として活躍する人間にはなって欲しいですが、「英語を話せる人」にはなって欲しいとは思いません。

それよりも「日本語を使いこなせる日本人」になって欲しいと思っています。

結論:我が家は留学資金を留保しておく。

我が家の語学教育は本人の意思に任せています。

もし、本人が「本当に学びたい」というのであれば高校~大学で留学に出すつもりです。

その方が語学以外のものが沢山見えます。

個人的には、日本人は画一的過ぎるので、世界の多様性というものに触れたほうが絶対に良いです。

「拒絶する」ではなく「受け入れる」素地を養うと一気に世界が広くなります。

なので、我が家では留学費用を積み立てる事にしました。

もし、本人が留学を希望しなかったら、大学卒業後にお祝い金として渡そうかと思います。

余談:本当に語学教育を定着させたいなら。

国の早期教育は個人的には余りうまくはいかないと思っています。

「英語に関心を持たせる」という意味では十分な効果が期待できるでしょうが、「話せる人材を」という点では余り変わらないと。

本当に「聞けて話せる」様にする方法はとても簡単で「反復」あるのみです。

つまり「集中的に行う」ということ。

現時点でのカリキュラムでは明らかに「コマ数」が足りないのです。

どれだけJETプログラムでネイティブを連れてきても一緒。

それなら「英語圏の生徒をホストする」方が余程効果は高いと思います。

毎日英語に触れなくてはいけないからです。