実家に入らない事で「育児」を「祖父母」から引き離した。
[最終更新日]2021/03/23
ざっくり言うと
- 父母と祖父母は子(孫)に対する視点が違う。
- 同じ屋根の下で異なる文化は相容れない。
- 互いの我慢は子供のストレスに繋がる。
- 「子供の為に」の辛抱は黄昏に向かう夫婦と何も変わらない。
我が家は実家に入るのは避けた。
僕は実家に週末の土曜夜~日曜だけお世話になっている口です。なので普段は娘と賃貸で二人暮らしをしています。
実家に入れば経済的にも大助かりですし、食事の準備なども助かります。
でも、僕は実家に入るのだけは避けました。何処かで「歪み」が生まれると思ったからです。
【いきなり結論】両親と祖父母は「育児」の視点が違う。
これは間違いないと思います。 何かの本で書いてありましたが、
「親は子供の将来を考え、祖父母は孫の今の幸せを考える」
これは断言します。絶対です。祖父母にとっては「今、孫がハッピーか否か」が最重要課題。孫が泣いている時点で「可哀相」となります。
わかりやすい例が「歯磨き」です。
僕は虫歯だけは絶対に作らないと決めていたので、羽交い絞めにしてでも仕上げ磨きだけはしっかりしていました。それを祖父母は「虐待だ」と見る度に言っていました。
「お前は親として間違っている。理解できない」とまで言われました。
言われた方はカチンと来ますが、これは「異なる文化」がぶつかっている様なものなので、永遠に平行線です。そういうものなのですから。
イスラム教とキリスト教が相容れないのと同じだと思っています。同じ言葉を使っていても「単語の定義」が違うのです。
実家は切り札にした方が互いに良いと思う。
僕の場合は、実家までの距離は約10km。何かあった場合は最悪タクシーでも来てもらえる距離です。僕なら自転車で十分。
そんな距離なので、「切り札」として温存する方向でいっています。
日常は自分でこなして、非日常の場合に頼る。あくまで育児の主軸は僕で、僕の方針で娘は育てる。
一方で、突発的な非日常がやってきた時、僕だけでは処理できないと判断した場合だけ助けてもらう。それ以外は「遊びに行く」スタイルです。これなら子育てに関しての小言を言われても聞き流せる距離なので平気です。距離の調整も容易にできる。
これが僕が辿り着いたベストな距離感でした。
祖父母は「迎える喜び、見送る喜び」が維持できる距離感が良いと思います。