父子家庭で娘、それ私だ

HSC(Highly Sensitive Child)についての僕なりの結論

[最終更新日]2021/06/06

HSC(Highly Sensitive Child)について

娘の不登校・行き渋りの時にこの言葉に出会いました。

ここでは僕なりに出した結論についてまとめます。

これは完全に僕の主観ですので、納得いかないという人も多いと思いますが「個人の主観」という事でご容赦ください。

僕はもういいかな

娘が不登校になった時、出てきた言葉が「HSC」と「不安症」でした。調べてみると「日常生活に支障がある・ない」あたりで線引きがされていた様ですが、実質は「同じ」概念だと思います。

色んな検査方法が確立されている様ですが、いずれにしても診断側・判断側の主観的要素がかなり入る+起こっている現象で判断するので、プロセスの介入余地が余り無い印象です。

HSCの決まり文句

  • 地球の5人に1人はHSC
  • 自己肯定感を育てよう

この言葉には何十回と出会った。その都度「あなたのせいじゃない」「神様からの贈り物」的な言葉を貰い「これは保護者への慰めなのかな?」と思ってしまった。

HSCだから仕方が無い。

仕方が無いから私のせいじゃない。

こんなロジックで安心感を得る保護者さんが結構いる事に驚いた。

僕の結論

把握空間が広い

こういう事だと結論付けました。

多分、時代が時代なら僕自身もHSCと言われていたと思います。何故なら子供時代の自分は殆どに当てはまる。日常生活に支障が出てないだけで不安症でもあったと思う。

日常生活に支障が無かったのは「親が怖かった(怒られる不安)」事と「皆から出遅れる事にすら不安を感じていた」からに過ぎない。

つまり「Aという不安がBという不安に打ち勝った」だけであって不安だらけに変わりなはい。

僕がHSCと不安症を大して区別していないのはそういう事だ。現象だけでの判断は危険すぎる。

話を戻そう。

そんなHSC or 不安症の塊ともいえる自分が色々あって今では「不安と仲良くなった」末に辿り着いた「ああ、そうか」と納得できた結論。

それが「把握空間が広い」という事です。

こういう事

一般的な子

一般的な子供

一般的な子供が把握する「自分の世界」は自分を中心とした狭い世界である。

だから「自分じゃない他人」に何かが起こっても「他人事」として認識できる。何故なら「自分じゃないから」である。

サッカーで言うならフォワード型だと思う。

HSC/不安症の子

HSCや不安症の子

一方で、HSCや不安症の子達は把握している「自分の世界」が自分を遥かに超えて広い。

その空間内にいる他人は「自分と繋がる他人」であり「自分の世界の一部」である。だから何かが起こると「自分の事」の様に受け止める。

  • 同じクラスの子が怒られると自分事として受け止める(範囲内)
  • 集会で誰かが怒られると自分事として受け止める(範囲内)
  • 別のクラスで誰かが怒られても自分事として認識しない(範囲外)

把握する空間によって差が出るのはそういう事だと思う。

  • 自分の側を通る車の圧を危ないと感じる(範囲内)
  • 道路の向こう側(10m)の速度超過の車を危ないと感じる(範囲内)
  • 道路の向こう側(100m)の速度超過の車を危ないと感じない(範囲外)

何もかもを受け止める訳では無い。あくまで「自分の把握する空間=自分の世界」の範囲内の話であり、その「把握する範囲」がやたらと広いのだ。

サッカーで言うならミッドフィルダー的なものだと思う。

単なる特性だな

僕はこう納得したので終わった。

なお、自己肯定感が低いというのは「成功体験不足」であり「経験不足」であり、それは親が何とでもできる。

経験させればいいのだ。それも足元からの経験。

  • コンビニでのレジ
  • コンビニでのセルフレジ
  • 自分の買いたいお菓子を持ってくる
  • 揚げ物を注文する
  • 回転寿司でお水を取ってくる

僕はそんなレベルから娘の経験値を上げていった。

成功体験も自己肯定感も、社会性も全部それで育った。

結論

あくまで「僕個人の主観」となりますが、HSC、不安症、不登校、行き渋りで悩んでいる人に伝えたい。

安心材料にしない事

子供よりも親の方がよっぽど不安症じゃないかと感じる事ばかりだった。

子供の問題じゃない。親の問題だ。そして親子の問題だ。

僕はそう思う。

大人が変われば子が変わる。

元の道に一刻も早く戻そうとしない事。子供が今のまま輝ける場所と道を探す事。

それが最善だ!というのが国王としての結論である。