父子家庭で娘、それ私だ

【完結】不登校・登校渋り伝記

[最終更新日]2021/03/20

この件を仕舞おう

今、この記事を書いているのは2021/03/19である。もう3学期も残すところ1週間となった。

娘1年生の終わりから始まった「不登校・行き渋り」に関してだが、ここらで完結にしていいと「ふと」思った。

理由は自分なりに「疑問点が全て消えたから」である。

ここ最近の娘を見ていて、改めて感じたことは「娘は学校が嫌いな訳ではない」という事。

娘のメンタルが鋼になるか豆腐になるかは「父親との関係性」に大きく依存している。

娘の行き渋りに遭遇してからずっと「娘8割・仕事2割」でやってきたが、結果としてはそれが正解だった。

これを「子離れ、親離れ問題」として捉える専門家もいた。「甘やかした結果だ」との見解も伝えられた。

だが、個人的にはそう思っておらず、何も響かなかった。

それは何故なのか。自分がおかしいからか。試行錯誤とは別に自問自答を続けてきた。

それに対しての答えがやっと出た。気がするのである。

ここから先は個人的な見解である。いや、ここまでもずっと個人的見解なんだけど。

親子関係が我が家は少し違う

ひとり親だから、という訳ではなく「子の自立を(自分の安心の為に)急がせる親」が多いと感じる私は小さな時から娘と「一緒に遊ぶ」事を大事にしてきた。

公園では一緒に滑り台を滑り、鬼ごっこも子供達と一緒に参加していた。実は小学三年生の今だってそうである。

それを「まだそんなことをしているの?」「子育てわかってないわー」と驚きと憐みの目で見るママ友は案外多い。

だが、親がというより「大人が参加する」事に対する子供の目の輝きは半端ではない。子供は大人が参加した方が圧倒的に楽しいのだ。

それは娘以外の女の子や男の子を見ていても変わらない。

子供扱いせず、相手を認め、対等にコミュニケーションを取れば子供達はスッと心を開く。

どちらが子供達にとって良い経験、楽しい経験になるか。

少なくとも過去の自分にとっては「一緒に遊んでくれる大人との時間」は最高に楽しかった思い出しかない。

実際に親になって確信したが、個性こそあれ「大人は邪魔」とする子供は早くに自立を促されているケースに目立つと思う。

大人と一緒に遊ぶ「遊び方」自体を知らない。「大人って子供と遊ぶものじゃないでしょ」という感覚を持っている。

そういう子は、私からすると「親と子」の関係性に明確なクレバスがあるのだ。「大人と子供」が明確に分けられている。

それが正しいか否かは別として、我が家では違うという事だ。だから今でも娘との繋がりは一般的なものとは質が異なっている。

そういう風に育ててきたのは自分だったというのに、自分が梯子を外した様なものだったと反省した。

「娘が”パパもういらない”という瞬間まで娘の為に生きる」

そう決めたのは自分なのだ。

「子供はいつまでたっても子供である」

成長する娘を前に日々そう感じる一方で

「もう1年生だし、2年生だから」

と勝手にラインを引いていたのも自分である。

要は私の問題だ

それに気付いて、自分の軸を改めて整えたことで娘はドンドン安定していった。

娘の状況を憂慮し、手当たり次第に取り組んだことより、親としての自分を見つめなおし、自分の襟を正した事の方が圧倒的に変化を生んだ。

なんてことはない。今まで通りの自分に戻れば良かっただけなのだ。

状況が落ち着いてから何度も何度も娘が行き渋り・不登校を起こしてからの事を振り返ってきた。

本当に沢山の人の助けがあった。

  • 担任の先生
  • 学年主任の先生
  • 保健室の先生
  • 学校の先生
  • 教頭
  • フリースクールA
  • フリースクールB
  • ひとり親仲間
  • ママ友
  • 工事現場の警備員さん
  • 学校の警備員さん

個人的には娘とは何の関係もない学校工事の警備に来ているおじさんが「娘ちゃん、おはよう~頑張れよ~」と声をかけてくれた時、人生で2回目の「自然と涙が溢れる」という経験までした。

追い詰められていた訳じゃない。

状況が辛かった訳でもない。

嬉しかったのだ。

毎朝、登校時にすれ違うので挨拶はしていたが娘の名前を聞かれた事は無い。実は最初なんて「オレ、学校関係者じゃないし」みたいな感じで無視されていた。毎日娘と一緒に挨拶をしているうちに段々と返してくれる様になった人だ。

そんな人が娘の名前を呼んで、娘に励ましの言葉をかけてくれた事。

一般的には「色んな人に迷惑をかけて」とか「皆が応援してくれるからホラ!頑張らないと!」となるのかもしれないが、私は純粋に嬉しかった。

「ああ、色んな人が娘を見守ってくれてたんだなぁ」と。

ただ有り難かった。

そしてわかったのだ。

今、娘にはそれを感じ取るだけの余裕がない。第三者の思いやりを感じ取れないのはもっと身近な存在からの思いやりが感じ取れないからだと。

  • 自分勝手な思いやりになっていないか
  • 娘が求めている安心感はどういうものか

結局は父親である私自身に問題があったのだ。

今まで10割娘に向けていた意識が急に減ってきた。仕事だからというのは大人の理屈であって娘にしたら青天の霹靂。小学生になったからなんだよという話に過ぎない。

大人にとっては「まだ7割、十分過ぎる」で済んでも、娘に取ったら「3割も減った!どうなってるの?」である。

そういう風に育ててきたし、一緒に生きてきたのだから当たり前なのだ。

集団登校ができて、学童も楽しく通ってるから「もう大丈夫だ」という話ではなかったのだ。

いつのまにか、自分の物差しで娘を判断していたことを思い知らされた。

何度でも言おう。

環境が変わったからといって子供に変化を強要するのは我が家では悪手である。

環境が変わり、娘が馴染み、内側からの変化が芽吹き、定着した時。それが我が家では変化の時である。

外からではなく内側からの変化。それがどれだけ力強く安定しているか。仕事で散々見てきた真理である。

それが今来た。

だから「ああ、もう行き渋り・不登校は幕をおろせるな」と思ったのである。

変化だって少しずつである

もう大丈夫だ、そう思ったからと言って今から急に仕事に急旋回はしない。

学校への車の送迎は続ける。もう高校までそれでもいいと思っている。ひとり親にとっては大事な親子の時間でもあるのだ。学校に指摘されたら頭下げてお願いする。

仕事だってまだまだセーブだ。できる限り娘との時間を作る。時々仕事を詰めて、娘に「例外的なシフトチェンジ」を求めていくスタイルだ。

学校への送迎も「友達を呼びたい」という希望が出た時に「じゃあ一緒に帰っておいで」とこれまた例外的なシフトチェンジで経験値稼ぎをしている段階だ。

友達と外で遊んだ日も、少し離れた場所で待ち合わせして1人でやってくる練習をしている。

それを「遅い」「恥ずかしい」という声は非常に多い。祖父母はその急先鋒と言える。

だがしかし、私は例によって気にしない。我が家はこれでいいのだ。

学業よりも身体を使う事、そして他人を思いやれる事。我が家はそっちが優先である。そして子供ならではの狡さ、小賢しさもでてきた。

実に成長途上の人間らしい。実に未熟なのだ。

まさに子供である。

最後に繰り返すが、娘の行き渋り・不登校は明らかな「人災」だった。私自身がもたらした災厄である。

それが私の結論である。

今、悩んでいるママ・パパへ

もし、我が子が不登校や行き渋りに困っているとき。

それが学校の人間関係(いじめなど)でなければ、家族関係を振り返るといい。

沢山の保護者会に出て確信したが、まず間違いなく原因は家庭内の人間関係である。

自己肯定感が~とか安心感が~という話もいいが、それらは全て「親が子を認める」事で生まれるから大丈夫だ。

わかりやすい結果で求めるなかれ。子が生きてるだけで親にとっては価値が有り余る。

世の中や他人の物差しで我が子を測ろうとするなかれ。それはもう世間体の為の自己満足である。

答えは子供の中ではなく自分自身の中にある。それだけである。