説明書なんて捨ててしまえ
[最終更新日]2021/03/23
ざっくり言うと
- 子供は感じたままに遊ぶ。
- 子供な「おもちゃ」で遊ぶだけ。説明書なんて自分で作る。
- 子供にはどんなおもちゃも「積み木」と同じなのだ。
子供は感じたままに遊ぶ。
娘とおもちゃで遊んでいた時に感じた事。
ジェンガを買って遊んだのですが娘がルール通りに遊んだのは最初の数回でした。最初はドキドキしながら「わー!きゃー!」と楽しそうにブロックを抜いていたのですが、バランスを崩したら一気に崩落するのが画期的だったみたいで。
もう積み上げた傍からわざと崩す。
ついにはゴジラの様に吹き飛ばす様になりました。
せっかく積み上げたのに、、、、、、いつのまにか「ゴジラゲーム」になってしまった訳です。
僕は「ジェンガ」を買ってきたので「ジェンガ」をしようよ~と娘に何度も言うのですが、娘は全く興味が無いわけで。
困ったな~。参ったな~。せっかく買ってきたのになぁ。。。。と思った時に、ふと思いました。
確かに「ジェンガ」を買ったけど、なんで「ジェンガ」で「ジェンガ」をしないとダメなんだろうと。
僕の中でパラダイムシフトが起こりましたw
子供は何を買っても「おもちゃ」で遊ぶだけ。
僕はジェンガを買った。
でも、娘には「新しい木のおもちゃ」であって別に「ジェンガ」でも何でもない。「ジェンガ」としての説明はしたし、理解もしたけど、娘にはそれより「ゴジラゲームのビル」か「発破工事ゲームのビル」という位置付けになった訳です。
自由な発想に固定観念が打ち砕かれたw
子供は目の前にあるおもちゃを使って、自分が想像した遊びをしていく。
「これはこういう遊び方をするものだ」と説明をするのはともかくも、「その遊び方をするべきだ」は不要だったなと思いました。
そういう遊び方をしたくなったらするだろう。今の娘はゴジラになってる方が余程楽しそうだし。
ジェンガもきっと喜んでるだろう。
こういう小さな「ねばならない」で子供を盆栽にしていくのだろうか。
こんな何でもない出来事なんですけど、僕はふと思いました。
こういう大人の固定観念で子供の自由な発想を抑えてしまっている事って他にも無いだろうかと。
しかも、大人は子供を導いていると勘違いをして。
これは完全に有難迷惑だ
やっぱり僕は子供の後ろで見守るだけに徹しようと改めて思いました。
>>次は「「効率」は『徹底』と『捨てる』を使い分けること」